FASE;3  転換後に向けて


この位相では、「転換後にどうなるか」を扱います。

 

転換後は意識レベルの上位層のみが、転換後の地球領域に再集合し、新世界を再構築します。これまで地球は多層同時存在が赦される宇宙稀な星でした。したがって、高位層の魂にも低位層の魂にも相互に触発される経験ができる環境でした。

 

しかし、低位層の霊魂どもの傍若無人な振る舞いによって、地球環境はズタズタになり、地球人どものこしらえた社会は、ピラミッド形式の支配・搾取構造により、行く先の展望を失い自滅します。

 

上位階層の魂たちは、このおぞましい地球第三密度領域にあきれ、愛想をつかし、無力さと孤独感に孤立しています。


この意味から、アセンション ~地球自滅の位相から、覚醒した意識レベル上位層による地球再生への次元遷移ビジョン~ が必要になります。

 

神々は太陽系まるごと次元遷移の準備を実行します。しかし、次元遷移の地球意識圏の再生の中身は神々の責任領域ではありません。


それを、誰がやるのでしょうか?
神様ですか?宇宙人ですか?宗教者ですか?
いいえ。
そういう超越存在が何かしてくれるのではないはずです。

議員でしょうか?ジャーナリスト?大学教授や学識経験者?金融資本家?・・・すべてNOです。

私たち庶民の中から、意志ある者がそれをやっていくのです。今度こそ私達がそれをするのです。いいですか。イルミやフリメが、地球支配の頭目だった第三密度領域は終わるのです。貴族にも皇室にも、もはや主導権はありません。

 

これからの次元遷移の中身は私たち覚醒者が創りなす役割を担っています。だから、私はここアセ実で、それをして行きたいんです。


《「政府がなければ生きられない」という洗脳

人類の深い洗脳について見てみましょう。いま、人類史といえば、国家史と同じ歴史になっていますね。国家社会以外の社会システムは見当たりませんね。

消されたんじゃないでしょうか。歴史上からも、制度上からも。だから国ありき、政府ありき、法律ありきの地球文明しかないと洗脳されている。

かつて縄文社会は国家でなかったけれど数万年持続した。インディアン部族社会も国家でないけど調和持続した。滅亡した、滅亡させられた四大文明や水没したレムリアはどうだろう?政府なんかあったのだろうか?

国家は武装して、国家間で支配権を巡って戦闘するけど、人類史の中でも国家なんかたかが1000年や2000年前に出て来た虚構の姿。人類と地球に不可欠な制度ではありません。

そもそも統治というアイデアは、悪魔のアイデアではないでしょうか? いま、政府の害がスゴい。官僚支配、国際資本家の完全支配。国家統治にはそういう根源的な病巣が宿命的にひそんでいるんじゃないのか?

統治が前提ならば、人類奴隷システムとなるのはやむをえない。日本では大和朝廷からこれらが始まったと思います。

大和朝廷とは、今から思うに、国家という「まとまり」を持っていなければ方便として大陸との国交ができなかったから生まれたのかも知れません。今や地球で人類は国家に属さないと生きていけないけれど、そういう先見性として大和中央集権という国家建設が、避けて通れなかったんだろう。まあ、その当時どういう意図だったのかはわからない。しかし、今にして思えば、地球の人類史には国家という統治アイデアは避けて通れなかったんだろうね。

 
《政府がなくても生きていける

しかし、人類は国家政府に庇護されなくても、生きていけるんです。これは、私たちが完全に忘れさせられているアイデアです。

古代の民、先住民族、インディアン達のような世界では能力の封鎖がなく、自然との対話も当たり前にできました。そして国家を建設しませんでした。

そのように人間が宇宙とつながっていると困る者が存在したんでしょう。それが、悪魔達です。彼らは、バビロニア時代から秘密結社を通して毒制度を開発し、人々に与え、生かさず殺さずの国家統治を始め、それが未だに続いています。民衆に目覚めてもらっては困るのですね。

だから、人間の覚醒を妨害してくる。アセンションや理想の世などを、異端扱いして、潰しにかかってくる。国家という存立基盤を超越する意見は、迫害される。


《国家・国民であることしか選択できない現代》
 
国家。それはよくできた制度に見えます。社会の建設と運営方法は、国家・統治制度・選挙制度などによって、「これしかない」と洗脳されています。その国家という器の中に、科学文明、消費文化、議会制民主主義、3Sなどが格納されています。

そして、「政治家がまだ何かしてくれる」とか、「政権交代が必要」とか、幻想を振りまいています。「統治したり・されたりが前提の政治システム」。そして、それを補完する選挙システム。そこにあるのは、狡猾な悪魔による制度設計と、それに隷従するしかない人類の盲目性ではないでしょうか。


《理想世とは》

理想世・・・・ 人々が心のずっと奥底で望んでいる、だけど貨幣経済や3Sなんかに打ち消されている理想の世の中とはどんな姿なんだろう。単純にいえば、「日本むかし話」に出てくるみたいな世でないでしょうか。

むかし、国がなかった地球で、人類は万物と会話しながら、調和していました。しかし、それは、消えました。マスアセンションしたか、天変地異か。原因は分からないけれど、ことごとく消えました。

しかし、あの時代の霊魂が、理想の世のつくりなしに戻ってくる。インディアンはそう言ってます。

次の世の形。形示し。どんな世がいいかな?


そういったことをアセ実で話したいのです。ことだまを使って理想世の姿を示したいんです。だって、ことだまこそが、世を創る指令を宇宙に送るから。それに対して、あの時代の霊魂が呼応して戻ってくる。


《過去に未来のヒント

多分、過去に未来のヒントが有るのではないでしょうか。国家社会成立以前の部族社会に。神代に。縄文時代に。レムリアに。しかし、この古代社会のことを私たちは忘却し、そのイメージを封印して生きています。それを紡ぎ出していかなければなりません。
 
そして、それをして行くために、心身の浄化は必要です。ここを通らないと次にいけない。でも気がついても毒が次から次へとくるから、すぐに浄化をやめる人がほとんど。それではいけません。

私達はあの頃の霊魂と仲良くできるように浄化して、洗脳を解いて、真っ白なアタマで、理想の世のスケッチをして行きましょう。過去をスパイラルアップして、まだ見たことない理想世をことだまにするのです。

理想世とは?・・・・・死生観のなかにそれはある。


《アセンションと死》


アセンションは第3密度領域の物質肉体表現に依拠するものではありません。むしろ、それは意識覚醒が主題です。

しかし、過去ほとんどのアセンションは、肉体離脱というカタチで、死のプロセスを通して実現されてきました。

では、肉体死がアセンションの条件かというと、そうではありません。なぜなら今、日本は被曝ですでにひどい被曝が進行形であり、肉体終了の人がどんどん増えています。しかし、この方々がアセンションしているわけではありません。

詳しく見て行きましょう。意識覚醒と肉体死はおなじものなのでしょうか?

 

いいえ。両者は根本的に違っています。

死んでも意識は覚醒しません。肉体死は意識覚醒を保証するものではないのです。だから、地球には死後も輪廻が存在して、覚醒するまで肉体生を再生する、気の遠くなるような意識覚醒へのサイクルが待っています。

別の見方をすると、肉体生のある間に意識覚醒をすることができたら、その意識存在としては、永遠に通用する覚醒レベルをクリアしたことになります。

だから、何が大事かというと、今ここに生きている間に意識覚醒をすることが大事です。覚醒とは、私たちの存在の本質を理解するという事です。私たちは死とともにすべてを終える肉体存在ではありません。

私たちの本質は、永遠に消滅することの無い意識存在です。

ゆえに、肉体死を迎えても、なんら恐れることはありません。むしろ永遠と無限への参入をはたす祝福すべき遷移なのです。

《死生観の統合》

 

ここで、決定的な真実を述べます。死とは、霊魂の乗り船である肉体の消滅に過ぎません。

 

では肉体に依存している(ように見える)意識はどうでしょうか?

意識には消滅は永遠にありません。意識は肉体に宿るのではなく、意識が肉体を創造し動かしているのです。

すなわち、意識は永遠不滅の「生」なのです。

 

ここにおいて、勘のいいあなたは気づいたでしょう。永遠不滅の「生」が私たち人類の本質なのに、なぜ人は死を恐れるのか。そしてなぜ死を恐れる動機が、宗教依存や政府依存、今では消費の原動力になっているのか。

 

それは、死を恐れる庶民の人間型思考様式を利用する悪魔存在が、政府や企業やマスコミを牛耳ったからです。彼らは狡猾です。人間の弱い思考様式をとことん利用するのです。

 

ですから、私たちは意識存在としての可能性を完全に封鎖され、まったく無力な肉体存在であると洗脳されてきました。

 

 

《私たちの真のチカラ》

 

意識存在である私たちには、今までの肉体奴隷とは異なる、意識的な自由があります。それは、国家や政府や法律や貨幣にまったく束縛されない、真の自由です。

 

そこには、非補食の生があります。生体維持の条件は変化し、生体とはなんであるかの定義が変化します。意識は食糧を必要としません。だから食べなくても生きていけます。

そのために次元移行中は、肉体ではなく、意識(霊魂体)としての自己認識の比重が増えます。

 

肉体維持のための、今までのような条件は不要になります。例えば肉体では睡眠は欠かせませんが、意識体では睡眠サイクルから離脱できるようになります。そうなると、ベッドすなわち家の必要から離脱できるようになります。家はご存じのとおり、家族制度での拘束の牢獄であり、経済成長のための装置でありました。

 

ですから、家が不要になれば家族制度での拘束は受けませんし、むろん経済社会すら維持する必要がなくなります。


封鎖されていたサイキック能力は万全に復活開花します。重力制御により、巨石を加工したり運搬したりは簡単にできます。重力制御して空間移動ができれば、すなわち交通という拘束はなくなりますから、エネルギー動力支配から離脱できるようになります。

家やエネルギーの拘束がなくなれば、すなわち消費・所有の拘束から離脱できます。もともと人間が宇宙自然を所有するなど、できるわけがない。それを「できる」とそそのかし、法律によって国家が所有権利を保証したわけですが……所有するなど、神の冒涜でなくてなんでしょう。すなわち、悪魔の姦計だということです。それを気づかず根底から洗脳されて「まだもっと所有したい」などというのは、悪魔に魂を乗っ取られている以外の何者でもありません。

 

消費・所有の拘束から離脱できれば、地球環境への負荷の解消になります。あたりまえに神の意思に沿うことになるのです。

個体の能力評価尺度は知識や知能指数ではなくなります。知識から祈りの質が重視されます。知力より「心持ち」が問われます。 

 

知的生産という意味も変質します。

記憶は個体の能力を問われなくなります。記憶力など無意味になるのです。なぜなら、記憶量無限の経験バンクであるアカシックレコードに誰もがアクセスできるからです。ここで、個体どおしの経験の共有化が実現します。

これによって個体とは何かの定義が変化します。今までの個体、すなわち個人とは個別に分離した存在の、個人的能力で優劣が決定されました。しかし、遷移後は、個体ではなくそれを包含した「人間おおやけ」の意識レベルに我々は参入していくのです。

「人間おおやけ」とは進化した人類同士の意識統合を図るものです。同時に意識は更なる高みである「宇宙おおやけ」の意識へと上昇拡大していきます。ですから、万物とのアクセス・会話ができるようになります。動植物、昆虫爬虫類、鉱物や山川など、対象として認識できる相手側が人間同様に個性と意識を持ち、交流できるようになります。 

ここで、人間的存在の定義変化が必要になります。私たちの意識が、今までの「個人」のレベルから、宇宙万物疎通へ無限拡張していくのです。そこで、人間とは何か、問い直さねばならなくなります。

 

人間を正確に言えば、未熟人類と、進化人類の二種類があります。

 

未熟人類は、遷移後もどこかの地球類似惑星で、輪廻システムによる個別経験のサイクルに幽閉されます。それは彼らの霊魂が望み、それにふさわしい経験ステージが用意されたということです。


しかし、進化人類には、もっと、広大な無限の可能性が示されます。

霊格の上位階層との接触により、あなたの霊格にふさわしい課題がわかってきます。これは宇宙での仕事ですから、地上の金もうけのような嘘と欺瞞だらけの仕事とはまったく位相が違ってきます。

仕事はお金儲けのためではありません。仕事の定義は変質します。もちろん貨幣制度がなくなりますから、貨幣労働だってなくなります

貨幣なくなるということは、社会の根底から変質することを意味します。国家による統治は不要になります。社会経済はこれまでのような利益の最大化などという近視眼では動きません。しいていえば、宇宙摂理への貢献、それが遷移後の社会を動かす仕事観になります。

現在のような制約の中の人間ではないのです。遷移後は。

遷移後は、神の性質を発露した神人になるという言い方もできます。

しかし単に神人というと、どんな立派な聖人君子かと思われると思いますが、そういうことではありません。

 

神人とは、意識覚醒を果たした人類という意味です。

 

人間とは思考の枠組を持っており、それが良くも悪くも「自己という枠内」での利益誘導思考を、条件反射的に生起させてきました。

 

そうです、それがあの忌まわしき「利己保身」の発生原因だったのです。

 

このような「人間的思考様式」を、くりえいとは「人間型ゲシュタルト」と呼んでいます。霊魂ではなく肉体仮想存在を自己と呼んで、自己の維持と利益拡大のために仮想自己を強化してきました。この集積体が「人間型ゲシュタルト」です。

したがって、「人間型ゲシュタルト」は、ペルソナ(仮面)と同じものです。仮想の自己。そして仮想の自分意識。その誤った思考回路を見破ることが、覚醒です。

 

覚醒すれば、人間の限界を超えることができます。自己という仮想の肉体自己は超越し、無限の意識拡張ができます。そうなれば、死んだ上位霊魂との接触も可能になります。肉体の重苦しい第3密度表現から離脱し、自由自在に外国までテレポーションできるようになります。 

 

《生と死の実相》

 

生と死は、存在と無、ではありません。
実相は、永遠の意識生だけがあり、そこには、始まりもなく終わりもありません。
意識はほんとうは無尽蔵です。限度というものがありません。


ゆえに、意識存在として、宇宙に存在することは素晴らしいことです。

存在と存在が理解しあい、協力し合って創造の意思をもつことはもっと、素晴らしいことです。

 

なぜなら、宇宙とは、無限なる創造の存在、だからです。そこに寄与貢献することが、(地球文明での経済成長などではなく)、われわれ宇宙存在としての使命なのです。

 

《意識存在の、存在意義》

 

われわれの真実とは?なんでしょう?

 

われわれは、霊魂であることが、存在の証明であり、真実です。

 

霊魂とは何か?それは、「意識存在」であることです。

 

他殺がいけないのは、われわれが意識存在だという真理を悟る機会を奪うからです。自殺がいけないのは、みずからの意識存在性を否定して消滅を意図するからです。自殺者は、肉体が消え失せても、自分が地球空間において意識存在し続けることに気付かないで、死後意識体となってもまだまだ自殺を永遠に繰り返します。死んでも死にきれないわけで、死の呪縛に取りつかれているのです。

殺生がいけないのは、生命体の意識進化の機会を奪うからです。

輪廻とは「自己が意識存在することに覚醒していない意識存在の生死をリフレインするループ」です。だから、輪廻とは克己すべき現象なのです。

 

意識は、「自分が永遠なる意識体である」という自覚で、「悟り」を得ることになります。すなわち、悟ることで、輪廻を脱却できるできるのです。

輪廻はループです。だから、意識進化の宇宙の意思に反する現象なわけです。そこで、「輪廻を離脱することが宇宙への貢献になる」わけです。つまり、「人間を卒業すること」です。

意識存在にとっての貢献とは・・・「宇宙に貢献する意思こそが、意識存在が存する理由」なのです。

 

《神実現》


意識存在には階層が有ります。便宜上、上位階層の意識を神と呼んでいます。

意識存在は、生きている間も死後も、上位進化をすることが、存在する目的です。
本来、無制限な意識存在が肉体や常識や固定観念で制約されていることが、人間の背負っている課題です。

人間が意識存在であること、に覚醒することが、人生の目的です。