あるとき、俺は君と出会った。

君にしっぽはなく、俺には羽根がなかった。

だが、俺たちはすぐに分かりあえた。

君は俺のために空たかく舞って獲物を見つけ出し、

俺は君のために自慢のキバで獲物に咬みついた。

たがいに相手がうれしくなるツボを心得ていた。

どこへいくにも二人でいられるように、

俺は止まり木をくわえた。

「私の指定席ね」と君はよろこんだ。

君の眼は遠くの虫一匹まで見つけ出すし、

俺の鼻は風上の獣の匂いを嗅ぎ付けるから、

二人なら百人力だった。

やがて、冬がやってきた。

喰うものに困り、寝床にも困る雪だ。

俺が一食分喰うのを我慢すれば

小さな君の胃は満腹になるが、

君が小さな食事を俺に譲っても

俺の大きな胃袋はとても満たせやしなかった。

だから、互いの譲り合いもピリピリして

ケンカみたいに言い合いしたこともある。

ここは物質地球・・・、きつい第3密度領域だ。

凍てつく風で、互いの温もりが消え入りそうだった。

その夜、夢を見た。

雪が融け、春が来ても、身を寄せ合っている俺たち。

馬鹿みたいに寄り添っている夢だ。

このきつい世界で仲良く寄り添うことができたなら、

きっと、次元上昇後だっていっぱしの者さ・・・。

どうだい?

お前たちに、それができるかい?

雪が漆黒のなかで深々と問いかけてくる。

雪が漆黒のなかで深々と降り積もっていく。

第3密度領域が崩壊後、幕が開くように

第5密度領域に取って代わるのではない。

それは、同時にオーバーラップしている。

冬の木々が葉っぱを落とした裸の枝に、

すでに春の花芽が固い蕾を膨らませるように、

第3密度領域の枯葉が落ちるその中で、

第5密度領域の新芽が膨らみ始めている。

 

周りを見渡せば、あいかわらずしょうもない出来事や

くだらない人物劇は盛んに続けられている。

だが、そこに意識を引きずり込まれてはいけない。

それらは、第3密度領域に特有な人物による、

第3密度領域ならではのエゴ劇場に過ぎないのだ。

 

今、俺たちは、第5密度領域の新芽でありたいと決意する。

このきつい第3密度領域に生きる肉体存在でありながら、

意識的にはエゴを俯瞰し、

エゴを統合※する立ち位置で生きることを選択する。

そう。

俺たちは、第5密度領域の存在であることに

覚醒するのだ。

 

※エゴの統合

自己の人生で育ててきたエゴ、今も潜在意識に隠れているが無意識に出現しては思考や感情を乗っ取るエゴというものを、ありのままに見て認め、最終的にはそのエゴと共存して生きながらも、自分の思考や感情の主導権を渡さないこと。

となると、自分というものは肉体と同じ地平で思考する存在なのではなく、肉体に閉じ込められた存在でもない。

むしろ、肉体である自己の人間関係や思考感情の起動ぐあいを劇場で観る観衆や演出家のような立ち位置が、真の自己である。

この真の自己の発見、そして真の自己に主導権を渡すことで、エゴの統合ができる。

自己のエゴの言い分を聞きながら、それに囚われることなくもっと大局的に(良心や大我から)指図することができる、という意味である。